模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第11回最終回

【第11回(最終回)】この架け橋を次の世代へ。〜時空を超えて流れる「駿河のものづくりDNA」〜

 

第1章:伝統とは、形を変えながら生き続けるもの

全11回にわたってお届けしてきた『模型の世界首都・静岡のルーツを巡る〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜』も、ついに今回の第11回でフィナーレを迎えます。

 

ここまで一緒に旅をしてくださったみなさん、本当にありがとうございました!

 

古代の久能山に眠る平安の国宝『久能寺経』や源義経の『薄墨の笛』から始まり、武田信玄の山城、徳川家康公の遺言と久能山東照宮の造営、江戸時代の駿河雛人形やひな道具、大正・昭和の木製模型飛行機、そして現代のタミヤやバンダイのプラモデル、ミニ四駆へ――。

こうして振り返ってみると、ひとつの確かな事実に気づかされます。

**「静岡のものづくりは、時代に合わせてその姿をガラリと変えてきた」**ということです。

木材からプラスチックへ。神社の彫刻や雛人形から、世界を驚かせるプラモデルやガンプラへ。

素材や作るものは時代とともに大きく変化しました。しかし、形が変わっても、その奥底に流れる**「細部にまで魂を込める執念」「無から有を生み出す情熱」「本物以上に美しく作ろうとする美意識」**という本質は、数百年間、この静岡の土地で一度も途切れることなく生き続けています。

伝統とは、古い形をただそのまま守り固めることではありません。時代の変化に合わせて姿を変えながら、その「魂」を未来へ繋いでいくことなのだと、静岡の歴史が教えてくれます。

 

第2章:私たちが立っている「架け橋」の意味

歴史とは、決して教科書の中に閉じ込められた「過去の出来事」ではありません。

今を生きる私たちが、古代から未来へと続く、果てしなく長いリレーの真っ只中に立っているということです。

1000年前の平安貴族が平和を祈り、400年前の江戸の職人が技を磨き、昭和の職人が木を削り、現代のエンジニアが最新の金型を彫る。そして、現代の私たちが指先を動かしてパーツを切り出し、ニッパーを握ってプラモデルを組み立てる――。

そのすべての営みが、一本の太く美しい線で繋がっています。

私たちは今、歴史が育んだ最高の「ものづくり文化」という架け橋の上に立っているのです。

普段、何気なく手に取っているプラモデルの箱。その小さな箱を開けた瞬間に広がるプラスチックの匂いと精密なパーツの山には、400年分の職人たちの汗と誇り、そして家康公をはじめとする歴史の主人公たちの想いがぎっしりと詰まっています。

そう思うと、自分の手でひとつひとつのパーツを組み立てていく時間が、急に尊く、愛おしいものに思えてなりません。

 

第3章:この架け橋を次の世代へ。

だからこそ、この連載の最後を締めくくる言葉として、みなさんに一番伝えたいメッセージがあります。

 

「この架け橋を、次の世代へ。」

 

歴史から受け取ったこの素晴らしい「ものづくりDNA」と「創造する喜び」のバトンを、私たちはここで止めてはなりません。

次の時代を担う子どもたちが、また新しい素材で、新しいテクノロジーで、まだ見ぬ新しい未来を自分の手で組み立てていけるように。

デジタル画面を見るだけでなく、自分の手を動かし、試行錯誤しながら何かを創り出す楽しさを、大人が背中で見せていきましょう。この静岡という特別な土地が持つ「ものづくりの誇り」を、次の世代へと手渡していきましょう。

全11回にわたる歴史タイムトラベルに、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

さあ、物語はここで終わりではありません。次はあなたの番です。 今日、あなたの手で、新しい何かを組み立てていただけたら、幸いです。

 

作って終わりではなく、指先に魂を込めて作ったもので遊ぶ、飾る、自分なりに嗜むことで皆さんの生活がより豊かになることを願っております。

 

【今回の情報の出所・参考文献】

久能山東照宮・鉄舟寺・静岡市歴史博物館 所蔵全史料
『静岡県史』通史編(近世・近現代)
日本プラモデル工業協同組合 / 静岡模型教材協同組合 50年史
『本光国師日記』『駿府記』『甲陽軍鑑』

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第10回

【第10回】世界が注目する「静岡ホビーショー」〜現代に生きる職人魂と世界への発信〜

 

第1章:毎年5月、静岡が「世界の中心」になる日

毎年5月、ツインメッセ静岡(静岡市駿河区)で開催されるビッグイベントをご存知でしょうか?

それこそが、**「静岡ホビーショー」**です!

1959年(昭和34年)に第1回が開催されて以来、半世紀以上の歴史を誇るこのイベントは、タミヤ、バンダイスピリッツ、ハセガワ、アオシマといった日本を代表するプラモデル・模型メーカーが一堂に会し、その年の新製品を世界に向けて一斉に発表する「ホビー界のパリコレ」のような世界最大級の展示会です。

会場には日本全国はもちろん、アメリカ、ヨーロッパ、アジア各国からバイヤーやメディア、そして熱狂的なファンが集結します。

一般公開日には、全国からアマチュアモデラーたちが自慢の作品を持ち寄る「モデラーズクラブ合同展示会」が併催され、数千点を超える圧倒的なクオリティの作品が会場を埋め尽くすのです!

 

第2章:400年前の「久能山東照宮の興奮」が蘇る場所

静岡ホビーショーの会場に一歩足を踏み入れると、そこには異様なほどの熱気と笑顔があふれています。

プロのメーカーが作ったミリ単位の最新プラモデルに目を輝かせる子どもたち。 アマチュアモデラーたちが何百時間もかけて作り込んだ、本物と見紛うばかりのジオラマ(情景模型)を囲んで、見知らぬ大人同士が「このウェザリング(汚し塗装)どうやったの?」「すごいね!」と楽しそうに語り合う風景。

この熱気、何かに似ていると思いませんか?

そう、第1回・第2回でお話しした、400年前の駿府の街の空気感です!

かつて久能山東照宮や浅間神社を建てるために全国から集まった職人たちが、「どうだ、俺の彫刻は!」「この漆の塗りはどうだ!」と互いの技を競い合い、高め合っていたあの熱狂。

静岡ホビーショーは、単なる「商品の見本市」ではありません。**現代の職人(メーカー)と、現代の愛好家(ユーザー)が、ものづくりの喜びと情熱を分かち合う、令和の「大祭礼」**なのです。

400年の時を超えても、静岡の地には「ものづくりを心から楽しむ」という純粋なエネルギーが満ち溢れています。

 

第3章:デジタル時代だからこそ輝く「手のひらのリアル」

スマホやAI、デジタルゲームが世の中を覆う現代において、「自分の手でパーツを切り出し、組み立て、塗装する」というプラモデルの体験は、一見するとアナログで手間のかかる作業に思えるかもしれません。

しかし、だからこそ今、世界中でプラモデルや手作りのホビーが見直されています。

画面の中のデジタルデータではなく、自分の指先を動かし、時間をかけて立体物を創り出していく達成感。そこには、人間にしか味わえない「生々しい創造の喜び」があります。

静岡のメーカーたちは、最新の3DスキャンやCAD技術を取り入れつつも、最後は必ず「人の目と手」で金型やパーツを微調整し、アナログな組み立ての心地よさを追求し続けています。

「ハイテク(デジタル)」と「職人技(アナログ)」の融合。

静岡から世界へ発信されるプラモデルは、デジタル時代を生きる私たちに「自分の手で何かを作り出す楽しさ」を教えてくれる、最高のアートであり知育教材なのです。

 

さあ、全10回にわたって古代から現代までを駆け抜けてきた「静岡ものづくり歴史タイムトラベル」。

次回はいよいよ、感動の最終回(第11回)です。 私たちがこの歴史から受け取ったバトン、そして未来へのメッセージをお届けします。

「この架け橋を、次の世代へ。」

ラストメッセージを、どうぞ受け取ってください!次回も絶対に見逃さないでくださいね!

【今回の情報の出所・参考文献】

静岡模型教材協同組合『静岡ホビーショーの歩みと記録』
静岡市 観光交流振興課『ホビーの街静岡 推進計画書』
各種ホビー誌(『モデルグラフィックス』『ホビージャパン』ホビーショー特集号)

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第9回

【第9回】家具、竹千筋細工、そしてミニ四駆へ〜広がり続ける「静岡ものづくり生態系」〜

 

第1章:プラモだけじゃない! 静岡が「ものづくり王国」と呼ばれる理由

ここまでプラモデルを中心に静岡の歴史を追いかけてきましたが、実は静岡の「ものづくりDNA」の凄まじさは、ホビー分野だけに留まりません。

静岡市やその周辺地域は、**「家具(木工家具・鏡台)」「駿河竹千筋細工(するがたけちすじざいく)」「製紙・紙加工」「精密機械」**に至るまで、日本有数の多様な地場産業がひしめく「ものづくり王国」なのです。

例えば、昭和の日本の家庭にあった高級な「鏡台(ドレッサー)」の全国シェアの大半は、かつて静岡で作られていました。

「プラモデルと高級家具や竹細工……一見すると全く違うジャンルに見えるけど、どうしてこんなに多角的に産業が発展したんだろう?」

 実はこれらの産業もすべて、**木根を辿れば「久能山東照宮を作った職人たちの技」から枝分かれした「同じ一本の樹木」**だったのです!

 

第2章:漆と指物から生まれた「静岡家具」と「駿河竹千筋細工」

東照宮造営後に定住した職人たちの技は、時代に合わせて様々な形へと進化(分岐)していきました。

① 漆塗りと指物技術 ➔ 「静岡家具・鏡台」

大工や指物師(家具職人)たちは、静岡の温暖な気候と豊富な木材を活かし、江戸時代後期から桐タンスや塗物の家具を作り始めました。明治から昭和にかけては、漆塗りの技術を生かした「駿河鏡台」が全国を席巻。繊細な木組みと滑らかな漆の表面仕上げは、海外の博覧会でも高く評価されました。

② 木工の削り出し技術 ➔ 「駿河竹千筋細工」

竹を細く丸く削り出し(千筋)、それを丸い枠に一本一本組み込んでいく繊細な竹工芸「駿河竹千筋細工」。通常のアミハイド(編む)竹細工とは異なり、「組み立てる」技法を用いるのが特徴です。これも東照宮の彫刻師や細工師たちの精密な加工技術から生まれた、静岡独自の伝統工芸です。

そして昭和40年代以降、これらの木工・家具工場で培われた「高速で高精度な木材加工・樹脂成形システム」が、そのままプラモデルやラジコン、そしてあの**「ミニ四駆」**の製造ラインへと引き継がれていきました。

小さな単三電池とモーターで、専用コースを爆走する「ミニ四駆」。 シャーシの剛性、ギアの噛み合わせ、軽量化のための肉抜き加工――。世界中の子供たちを熱狂させたあの小さなレースカーにも、数百年かけて磨かれた「精度への執念」がぎっしりと詰まっていたのです。

 

第3章:職人同士が刺激し合う「生態系(エコシステム)」の強み

静岡の街の面白さは、**「異なるジャンルの職人や企業が隣り合わせで生きてきた」**という点にあります。

家具職人が新しい漆塗りの技法を開発すると、それが雛人形の塗師に伝わる。
雛人形の分業システムが、木製模型飛行機の生産体制に活かされる。
木製模型の精密加工技術が、プラスチックの金型やミニ四駆の設計に移植される。
このように、ひとつの地域の中で技術がオープンに共有され、互いに刺激し合いながら時代に合わせて変化し続ける現象。これを現代の言葉で**「イノベーションのエコシステム(生態系)」**と呼びます。

静岡は400年間、時代が「神社」から「家具」へ、「家具」から「木製模型」へ、「木製模型」から「プラモ・ミニ四駆」へと変わるたびに、自らの姿をしなやかに変えながら生き残ってきたのです。

変化を恐れず、常に新しい素材やテーマに挑戦する。これこそが「駿河のものづくりDNA」の真骨頂でした。

さて、次回は全10回の歴史タイムトラベルの締めくくりとして、現代の静岡の街で開催されている「世界最大のホビーの祭典」へと飛び込みます。

 

「毎年5月、静岡に世界中から数万人のホビーファンが集まる『静岡ホビーショー』は、街全体がものづくりを祝う現代の祭礼なんです」

次回【第10回:静岡ホビーショーと未来への地平】をお届けします。お楽しみに!面白いですよね!

【今回の情報の出所・参考文献】

駿河竹千筋細工協同組合 史料
静岡家具工業組合『静岡家具のあゆみ』
株式会社タミヤ『ミニ四駆ヒストリー』

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第8回

【第8回】キャラクタープラモの金字塔! ガンプラと静岡技術の融合〜バンダイホビーセンターが守り抜く「国産」のプライド〜

 

第1章:年間数千万個! 世界を熱狂させる「ガンプラ」の聖地

1979年に放送されたアニメ『機動戦士ガンダム』。その作中に登場するモビルスーツ(ロボット)を立体化したプラモデル、通称**「ガンプラ」**。

1980年の発売以来、累計出荷数は7億個(本)を超え、子どもから大人まで、そして今やアジアや欧米など世界中で愛されているモンスターコンテンツです。

このガンプラ、実は開発から企画、金型作成、そして製造に至るまでのすべての工程が、静岡市葵区長沼にある「バンダイホビーセンター」で行われていることをご存知でしょうか。

多くのメーカーがコスト削減のために海外工場へ生産拠点を移す中、バンダイは頑なまでに**「Made in Shizuoka, Japan」**にこだわり続けています。

ガンプラが世界中で売れ続けている最大の理由は、静岡の技術が生み出した「多色成形(多色スライド金型)」という、世界唯一無二の最新テクノロジーにあったのです!

 

第2章:塗装不要! 1つのランナーに4つの色が同居する神技

ガンプラを作ったことがある人なら、箱を開けた瞬間に感動した経験があるのではないでしょうか。

「パーツが最初から赤、青、白、黄色に色分けされている!」

接着剤を使わずにパチパチ組み上げるだけで(スナップフィット技術)、アニメのイメージ通りのカラフルなガンダムが完成する。この当たり前のような体験は、実は製造技術における世界の常識を覆す技術혁命でした。

それを可能にしたのが、バンダイが誇る世界唯一の技術**「4色多色成形機(多色注入技術)」**です。

通常のプラモデルは、1つの金型に1色のプラスチック樹脂しか流し込めません。しかし、バンダイの技術者は**「1枚のランナー(枠組み)の中に、4つの異なる色や種類の樹脂を同時に流し込む」**という前代未聞の金型成形機を開発してしまったのです!

これにより、瞳の部分や細かい色分けまでが最初からパーツとして一体成形され、塗装をしなくても完璧なフィギュアが組み上がるようになりました。

この技術は、金型の精度がコンマ何ミリでもズレれば、樹脂が混ざり合って異物になってしまう極限の精密さを要します。

まさに、江戸時代に「頭」「衣装」「指先」を別々の職人が極限まで精密に作り上げ、最後に一つのお雛様として融合させた「駿河雛人形」の分業と調和の精神が、最新の科学技術として昇華した姿でした。

 

第3章:なぜバンダイは静岡から離れないのか?

「なぜ、バンダイは生産拠点を海外へ出さず、静岡に留まり続けるのか?」

その理由は明確です。静岡には、前号で紹介した金型メーカー、樹脂加工会社、デザインプロダクション、パッケージ印刷会社など、プラモデルを作るためのあらゆるサプライチェーン(協力企業)が半径数キロメートル以内にすべて集結しているからです。

何か新しい試みをしたい時、技術的な課題にぶつかった時、近所の職人やエンジニアたちがすぐに集まり、「こうすれば削れるぞ」「この樹脂ならいける」と顔を突き合わせて解決できる。この静岡の地だからこそ製造できているのでしょう。

この**「技術と職人の高密度なネットワーク」**こそが、400年前の家康公の時代から静岡の街に蓄積されてきた最大の資産(インフラ)なのです。

ガンプラの工場であるバンダイホビーセンターの建物自体が、アニメに登場する地球連邦軍の基地のようなデザインになっているのも、ものづくりを楽しむ遊び心にあふれています。

伝統の職人技と、最先端のアニメ・テクノロジーの融合。静岡は常に時代の最先端を走り続けているのです。

さて、次回は視点を少し広げて、「プラモデルだけじゃない! 静岡の地場産業の広がり」に迫ります。

 

「静岡が『家具』や『缶詰』『紙』の生産でも日本トップクラスなのは、すべて東照宮の木工・漆技術から派生したものだったんです」

次回【第9回:家具、竹細工、そしてミニ四駆へ】をお届けします。お楽しみに!面白いですよね!

【今回の情報の出所・参考文献】

バンダイホビーセンター 公式公開資料および展示解説
『ガンプラ開発者インタビュー集』(株式会社BANDAI SPIRITS)
静岡県経済産業部『静岡県の工業・地場産業の歩み』

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第7回

【第7回】世界を驚かせた「タミヤ・クオリティ」の秘密〜金型職人のミリ単位の執念〜

 

第1章:なぜ世界中のモデラーは「TAMIYA」を絶賛するのか?

プラモデルを作ったことがある人なら、一度はあの「青(誠実)と赤(情熱)のツインスター(二つの星)」のロゴマークを見たことがありますよね。そう、世界最高峰のプラモデルメーカー**「タミヤ(株式会社タミヤ)」**です。

海外のホビーショップに行っても、タミヤのプラモデルは最高級ブランドとして別格の扱いを受けています。

世界のモデラーたちが口を揃えて称賛するのが、タミヤ製品の**「組みやすさ」と「精密さ」**です。

説明書通りにパーツを切り出し、合わせ目を重ねると、接着剤を使う前から「パチッ!」と完璧にパーツ同士が吸い付くようにハマる。バリ(余分な樹脂)がなく、パテで隙間を埋める必要すらない……。

 海外ではこの完璧な精度による組み立ての快適さを、敬意を込めて**「タミヤ・スナップ(Tamiya Fit)」**と呼んでいるのです!

では、なぜタミヤはこれほどまでに狂いのない、究極のクオリティを実現できるのでしょうか?

 

第2章:ミクロン単位で削り出す「金型職人」の神技

プラモデルは、熱で溶かしたプラスチック(樹脂)を金属の型(金型)に高圧で注入して作られます。つまり、プラモデルの精度は「金型(かながた)の精度」で100%決まると言っても過言ではありません。

1960〜70年代、プラスチックモデルへ参入したタミヤは、この金型作りに異常なまでの情熱を注ぎ込みました。

当時はまだコンピューター(CAD/CAM)などない時代です。タミヤの金型職人たちは、手書きの図面と巨大な木製木型をベースに、タガネやヤスリを使って硬い金属ブロックを手作業でミクロン(1000分の1ミリ)単位で削り出していたのです。

戦車や飛行機のボルト一本の突起まで正確に再現する。

プラスチックが冷えて固まるときにわずかに縮む(収縮率)ことまで計算に入れて金型を設計する。


「組み立てるユーザーに、1ミリのストレスも与えたくない」

 

この職人たちの執念とも言えるこだわりが、世界中のどのメーカーも真似できない「組み立てやすさと圧倒的なリアルさの両立」を生み出しました。

まさに、久能山東照宮の木彫り彫刻や、寸分の狂いもなく組まれた「権現造」の精度が、近代の「金属加工・金型技術」として完全結晶した瞬間でした。

 

第3章:実物を取材し尽くす「取材主義」と無償の愛

 

タミヤの凄さは、金型技術だけではありません。製品化する対象(実車や実機)に対する「異常なまでの情熱と取材力」にあります。

戦車やレーシングカー、飛行機を製品化する際、タミヤのスタッフは世界中の博物館やオーナーのもとへ飛んでいき、実車を何千枚も撮影し、実際にメジャーをあてて寸法を計測します。

時には実車の塗装を剥がさせてもらったり、エンジンの分解にまで立ち会うこともあったといいます。

 

「本物の構造を理解していなければ、正しいミニチュアは作れない」

 

この姿勢があるからこそ、完成したプラモデルには単なる「見た目の模倣」を超えた、実物の持つ「機能美や重厚感」が宿るのです。

東照宮の職人が神への祈りを込めて社殿を彫り上げたように、タミヤの職人たちは対象への深い敬意と愛を込めて金型を削り出しています。

素材が木から鉄(金型)、そしてプラスチックへ変わっても、「完璧なものを届けたい」という職人魂は、静岡の地でより一層研ぎ澄まされていったのです。

さて、次回はもうひとつの巨大な波、静岡が生んだ世界的なエンターテインメントの金字塔に迫ります。

 

「知ってましたか? バンダイの『ガンプラ』がすべて静岡の自社工場(バンダイホビーセンター)で作られ続けている理由とは?」

次回【第8回:ガンプラブームとバンダイホビーセンター】をお届けします。お楽しみに!面白いですよね!

【今回の情報の出所・参考文献】

・田宮俊作『田宮模型の仕事』(タミヤの金型開発と取材主義に関する史料)
・『タミヤモデル新聞』バックナンバー
・静岡県工業技術研究所『静岡県における金型産業の歴史と技術集積』

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第6回

【第6回】木からプラスチックへ。激動の技術革新〜ライト兄弟から始まった「静岡木製模型」のブーム〜

 

第1章:昭和初期、子どもたちを熱狂させた「木製模型」

 

私たちが普段楽しんでいるプラモデル。プラスチックのランナーからパーツを切り離し、接着剤やパチンとはめ込む技術で組み立てるのが当たり前ですよね。

 

では、プラスチックという素材がまだ世の中に存在しなかった、明治・大正・昭和初期の頃、日本の模型はどうやって作られていたと思いますか?

 

それは、**「木」**です。

 

昭和初期の日本において、静岡は「木製模型飛行機」の生産量で全国の大部分を占めるトップ産地でした。

朴(ホオ)の木やシナの木をカッターやヤスリで削り出し、リアルな飛行機や船の形に仕上げていく……。

 

東照宮の職人たちから受け継がれた「木工技術」が、時代の最新テクノロジーであった「飛行機」と出会うことで、静岡の模型産業が産声を上げたのです。

 

第2章:ライト兄弟の衝撃と、静岡木工職人たちの挑戦

 

1903年、アメリカのライト兄弟が人類初の有動力飛行に成功すると、世界中に「飛行機ブーム」が巻き起こりました。日本でも大正から昭和初期にかけて、飛行機は人々の憧れの象徴となりました。

このブームにいち早く反応したのが、静岡の木工職人や家具職人たちでした。

 

それまで雛人形の道具や高級家具を作っていた職人たちは、卓越した「指物(さしもの)技術」を持っていました。彼らは海外から輸入された飛行機の写真や図面を一枚手に入れると、そこから正確な三面図を起こし、木材をミリ単位で削り出して精巧な「木製模型飛行機」を作り上げたのです。

 

最初は教材や展示用として作られた木製模型でしたが、やがて「子どもたちが自分で組み立てられるキット(ライトプレーンや展示用木製製模型キット)」として商品化されました。

 

博物館、資料館でご覧になった方もいると思いますが、薄く削った木材のパーツ、翼に貼る紙、小さなプロペラ……。これらが箱に詰められた「木製模型キット」は全国の子供たちに爆発的に売れ、「模型といえば静岡」というブランドが日本中に定着したのです。

タミヤ(田宮模型)やハセガワ(長谷川製作所)、プラモデル大学でも大変お世話になっているアオシマ(青島文化教材社)といった、現代のプラモデル業界を牽引する名門メーカーたちも、元々はすべてこの「木製模型」の製造からスタートしていました。

 

第3章:1958年、プラスチックという「黒船」の到来

 

しかし、昭和30年代(1950年代後半)になると、静岡の模型業界を揺るがす最大の危機と変革が訪れます。 アメリカから、全く新しい素材で作られた模型が輸入されてきたのです。

 

それが、**「プラスチックモデル(プラモデル)」**でした。

 

木を一個ずつ削る必要がなく、金型さえ作れば同じ形状の精密なパーツを大量に生産できるプラスチックの登場に、静岡の木製模型メーカーたちは激しい衝撃を受けました。

 

「このまま木製模型にこだわり続けるか、それとも未知のプラスチックに賭けるか……」

 

静岡のメーカーたちが凄まじかったのは、**「素材が変わっても、自分たちの『ものづくりDNA』は変わらない」**と割り切り、いち早くプラスチックへの転換を決断したことでした。

木工で培った「正確な図面を起こす技術」や「プロポーション(造形美)へのこだわり」は、そのままプラスチックの金型設計へと引き継がれました。

素材が木から樹脂へ変わっても、静岡の職人たちが持っていた「本物以上に本物らしく作る」という執念は、少しも衰えていなかったのです。

 

さて、次回は世界中を驚かせた、静岡プラモデルの「クオリティの秘密」に迫ります。

 

「 タミヤのプラモデルが世界一と言われる理由は、ミリ単位以下の『パチッとハマる快感』を追求した金型職人の技にあるんです」

 

次回【第7回:世界を驚かせた「タミヤ・クオリティ」の秘密】をお届けします。お楽しみに!面白いですよね!

【今回の情報の出所・参考文献】

・田宮俊作『伝説のプラモ屋』(タミヤの木製模型からプラモデルへの転換記録)
・日本プラモデル工業協同組合『日本プラモデル50年史』
・静岡模型教材協同組合 設立史料

模型の世界首都・静岡のルーツを巡る 〜家康公と職人たちが架けた未来への橋。400年の時を超える「ものづくりDNA」〜第5回

【第5回】プラモの前身!? 駿河雛人形と驚異の細工技術〜漆と彫刻が生んだ江戸時代の「精密フィギュア」〜

 

第1章:雛人形の「顔と道具」国内トップクラスの産地・静岡

 

みなさんこんにちは。

 

3月3日の桃の節句に飾る「雛人形(ひな人形)」。可憐で美しいお雛様や、精巧に作られた小さな箪笥(たんす)や重箱などの「ひな道具」を一度は目にしたことがありますよね。

 

実は、静岡市は現在でも雛人形の「ひな道具」の生産量においては「駿河雛具」として日本トップクラスのシェアを誇る一大産地であることをご存知でしょうか?

 

指先に乗るほど小さな木製の引き出しがスムーズに開き、表面には見事な金蒔絵が施されている……あの驚異的なミニチュア工芸技術。

「でも、どうして静岡でこんなに精密なお雛様やミニチュア家具が作られるようになったんだろう?」

知ってましたか? 実は、この雛人形づくりこそが、久能山東照宮を作った超一流職人たちの技術が「一般の製品」へとスライドした最初のイノベーションだったのです!

 

第2章:東照宮の職人たちが始めた「最高峰の内職」

 

第1回・第2回でお話しした通り、久能山東照宮や浅間神社の造営のために、全国から静岡へ集められた一流の職人たち。

大規模な工事が終わった後も、気候が良く住みやすい静岡の街に多くの職人が残りました。彼らは神社仏閣の修理や維持管理を行いながら、日常の仕事として自分たちの専門技術を活かせる新しい製品を作り始めます。

それが**「駿河雛人形」と「駿河ひな道具」**でした。

彫刻師たち: 木を削り出し、繊細でおだやかなお雛様の「顔」や指先を削り出す。
塗師(漆職人)たち: 小さな木製の家具に漆を何度も塗り重ね、鏡のような光沢を出す。
蒔絵師たち: 金粉を使って、ミリ単位のひな道具に美しい植物や紋様を描き込む。
そう、彼らにとって雛人形やひな道具づくりは、単なるおもちゃ作りではありませんでした。「東照宮を建てた最高峰の技術を、ミニチュアサイズに凝縮して表現する」という、究極のフィギュアづくりだったのです。

江戸時代後期になると、静岡で作られる精巧な「駿河ひな道具」は参勤交代の大名やお伊勢参りの旅人たちの間で評判となり、「静岡のお土産といえばこれだ!」と日本全国へ広まっていきました。

 

第3章:「パーツを組み分ける」プラモデルへの直系アプローチ

 

ここで注目したいのは、駿河雛人形の制作プロセスです。

お雛様を作る際、顔を作る「頭師(かしらし)」、衣装を着せる「着付師(きつけし)」、手足を作る「手足師(てあしし)」、そして木製家具を作る「指物師(さしものし)」というように、完全な専門分業制が確立されていました。

それぞれの職人が自分の持ち持ちの「パーツ」を極限まで精密に作り上げ、最終的にそれらを組み合わせて一着のお雛様やひな段を完成させる――。

この仕組み、何かにそっくりだと思いませんか?

そう、現代のプラモデルの製造プロセス(金型を作る人、樹脂を流し込む人、パッケージを描く人、そしてパーツを組むユーザー)と全く同じ思想なのです!

「木を限界まで精密に削り、パーツごとに分業し、組み立てて完成させる」

江戸時代に確立された駿河雛人形の技とシステムは、まさに現代のプラモデルのダイレクトなルーツ(前身)となりました。

 

さて、次回は明治時代から大正時代へ。木工技術がさらに進化し、ついに「プラスチック以前のプラモデル」が誕生する激動のドラマです。

「知ってましたか? 昭和初期、静岡の子どもたちは『木で作るリアルな模型飛行機』に夢中になっていたんです」

 

次回【第6回:木製模型飛行機からプラモデルへ】をお届けします。お楽しみに!面白いですよね!

【今回の情報の出所・参考文献】

・静岡雛具雛人形協同組合『駿河雛人形・駿河ひな道具の歴史』
・静岡市 伝統工芸資料館 展示解説資料
・鈴本裕『日本伝統工芸品産業史研究』(駿河指物と蒔絵の発展)